個人植樹


こじんしょくじゅは「じぶんのためのしょくじゅ」です

ぼくたちが生きてくためには、たべて、のんで、息をすう。

「ごはん」と「お水」と「さんそ」がひつようなんだ。


「ごはんとお水」は、ぼくらがおとなになるまで お父さんとお母さんが よういしてくれるんだ。

でも「さんそ」だけなら、もうじぶんで木をうえられる!




すなばであなを掘ったことはあるもんね
じょうろでお水をかけたこともあるもんね



きみがじぶんで「じぶんのさんその木」をうえるということは、
きみが赤ちゃんではないしょうこだ。

そう!きみはこのせかいでりっぱなおとなになるために
まずは「りっぱなこども」になったんだ。






⇒お父さまとお母さまへ
・「個人植樹」(人生の行事として)
僕らは食べていくためには動く。
しかし日々消費する酸素(大気)と水(水質)のことはどうだろうか?
..そう考えたとき、大人のあなたは “何を思いますか?”

自分の吸う(消費する)酸素の分、1人1本くらいは木を植えようと思う
生きてくうえで必要な水資源や大気(酸素)のことを勉強するときに役立つ大切な経験として。
そして、この地球上の、この自然環境下で生きていくという自覚をもってもらうため1つの楽しい行事として。

その木は自分の手で植えること
穴を掘ってあげたり、やってあげたくなる気持ちを抑えてください。
まずは直接「自分のことは自分でやっていく」という小さな自信の第一歩と自覚を得るために。
われわれ大人にも言えることです、お金を払って誰かにやってもらうのはこの後です。
個人で出す二酸化炭素と、皆で使うエネルギーのCo2分は別と考えてみてもいいでしょう。(全ての問題を樹木が解決するものではありません。脱炭素社会への取り組み意識のきっかけです、成長と共にお子様とお話しをしてあげて下さい)

その樹木は自分で決めること
僕らを楽しませてくれる花の名前は知っていても、陰ながら水や大気を通して生活や活動を力強く支えてくれている木々の名のほとんどを知りませんよね?
このままでは多分、子供たちも私たちと同じような大人になります。

子供たちが大きくなった時、この行事を振り返り、これをきっかけに環境と植物について少しだけ関心をもって勉強してくれることを願って、(小学高学年なら)自分の考えのもと「木の種類」を決めてもらい、その答えに意見と責任を持ってもらう第一歩に。
 もちろん(低学年以下の)子供にはむずかしいので、直感で十分です、いつか本人が振り返ったときに自分の生まれ持ったセンスを知る良い思い出になります。
そこでお母さん・お父さんにお願いがあります。「なぜそれを選んだのか?」をちゃんと聞いてあげて、それを大きくなってから伝えてあげてくださいね。


❶+❷+❸、個人植樹とは ただこれだけのことです。
選ぶ木は何でもよく、全部あそび感覚で大丈夫です

私たちが子供の頃にこういった経験をしていたとしたら、悪くない想い出の一枚だったと思いますよ。

個人植樹の様子として、写真や動画を残してあげてください。



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ぼくは「こぶしの木」をえらんだよ!

「ぼくの空気をおねがいします!」って植えたんだ。

みててね、ぼくはりっぱなおとなになるよ!

 おおきくなったら

「昔おじいちゃんが植えた木」をつかって

りっぱなおうちをたてておくれ。

それがわしのねがいじゃよ。




 もし今住んでいる家のどこかに、あなたの祖父や祖母の植え育てた木材が使われていたら?

僕ならそれだけで心の支えにもなると思います。
家族を繋ぐものがカタチ(一応やる)的なものばかりになってきています。

子育て真っ只中のお父さんやお母さんでは日々目の前の忙しさに大切なことを見失いがちになります。
長く生きてこられたおじいさま・おばあさまだからこそ、人生の大きな時間の流れを教えてあげられることもあると思います。

ゆっくりと育つ樹木の生長を通して、お孫さんに“その何か”を伝え残してあげてください。

個人植樹で育てた木は、孫やひ孫さんが家を建てる頃には…
おじいちゃん、おばあちゃんにとっては実際に「孫たちの家を支える一本の柱」となります。そこまでがこの木の役割でよいでしょう。


(その木はあくまで「自分の吐き出す二酸化炭素のため」なので、大きくなりすぎる前に新しいものにしましょう)

⇒ おじいさま・おばあさまへ


たとえば和室の床の間の床柱に「おじいちゃんの木」が使われていたなら、僕は入学や卒業、合格の報告などもそっと手をあてて感謝することができる。

この時代には仏壇を置く家も少なくなっていますし、家を建てず賃貸マンションで暮らす方も増えてます。

ですが、木ならどんな形にも加工できて、必ず日常生活の中に残せます。

柱にならずとも大工さんなら家の一部に上手に組み込んでくれます、その他、育ち具合によっては、机、椅子、棚、家具、玄関ポーチ、神棚、表札、木箱 ..杖やペン、おもちゃなどにも。
もちろん形見としても、御守としても“持つ者の好きな形”にできます。

個人植樹で植えた木は、あなたが生きてる間は、あなたの呼吸する酸素をまかない、亡きあとはお孫さん一家が日常で使う何かに加工してもらい、あなたに代わってそばで力にならせてもくれます。
(代々処分に困らないように「柱などで使う場合はその家のみ」などと伝えておいてあげてくだい)


遺す財産は「お金という数字や不動産や形見」もいいですが、本当は「“二者間の思い出を感じられるもの”」が理想的で、そんなものが1つくらいあってもいいと思います。(財産は親から子なので、特におじいちゃんからお孫さんに直接遺せるものとして)

これからのグローバルな時代には、子供の能力次第では先祖代々の土地を遠く離れていくこともあります。
遺した土地が悩みや重荷になってしまってうこともありますが、財産としては何かしらの答えを出さなくてはいけません。
その時お金や不動産は必ずしもお孫さんの手にそのまま残るものとは限らないのです。

もちろんそれらと比べれば植樹した木の価値は小さなものかもしれません。
でも、祖父や祖母との思い出が詰まったものなら、勇気をもらえます。

あなたが子や孫に遺すものの中では、形見にしても使い勝手の良い喜んでもらえるものとは限らないし、情勢や状況で価値の変わってしまうお金や不動産よりは、あなた自身の個性や気持ちなどが込められたもので、かつそれを感じられるものは、「あなたが植えて、あなたの二酸化炭素で共に成長して生きていた証の木」のほうがオモシロイし、人間らしい。
 なぜなら、その樹の生長をお孫さんと見に行き一緒に楽しんで将来を語り、思い出をつくればより深いものになるからです。
植樹自体は
自分のために・自分で選び・自分の手で植える。
孫には・自分で選ばせ・自分の手で植えさせる
一緒についていってあげて自由にお孫さんとの思い出をつめこんでください
 お孫さんに樹木の大切さ、個人(としての意見)の大事さを教えてあげてください。

育った樹木は「誰かを支える木」として利用されればよいのです。

個人植樹で植えた木は、「他人からしてみればただの木」です。
自分たち以外の人にとってはそれ以上の価値などありません。

処分に困る財産ではありません。
使わなければほっといても構いませんし、邪魔なら伐っても構いません。
(ですので所有する上での権利だけはゆるく考えておいてください)
もし子や孫ができなければ、公民館などの建築にでも役立ててもらえればよく、「自分の育てた一本の木は最初から最期までしっかりと自分や世の中の誰かの為」となり、「心の少しの支えになってくれるもの」になるものとも考えています。

私たちの時代にはなかった慣習なのは分かってます。..ですが、
もし、「やってみてもよい、おもしろそうだ」とお思いいただけるなら、きっといつかお孫さんがおじいちゃんになった時、同じように「おもしろい」と思ってくれるのかもしれません。

ぜひ、お孫さんをつれて個人植樹をしてみてください。
お庭に植えればいいのです。
大きくなりすぎると思ったら十年おきに伐ってしまい、新しく植えればよいのですからね。

そのときは私共にもその様子をお写真などでお伝えいただけるとうれしいです。

土地をお持ちでない方でやってみたい方は、続きをお読みいただいた上で植木鉢から始めてみてください。樹木の成長はゆっくりですので大丈夫です。

ぼくらの時代から始める、新しい取り組みです。
ご一緒におねがいします。
やってみればきっと、オモシロイと思います。